憲法改正の実態、国際比較、これまでの論争の歴史から見えてくる疑問と課題とは
[待鳥聡史 京都大学大学院法学研究科教授]
高まる憲法改正の可能性
昨年の衆議院選挙を経て、憲法改正に積極的な政党(自民・希望・維新)が衆議院で発議に必要な3分の2を
大きく超える状態となった。必ずしも積極的ではないが、明確に反対もしていない公明党を含めると、衆参両院で3分の2を上回る。
両院でともに3分の2以上の賛成という発議要件は厳しいため、それが確保されている間に安倍首相が
憲法改正に乗り出す可能性は否定できないであろう。
ただ、憲法改正に積極的な政党の間にも重視する条項には一致がないうえ、政策的に望ましい優先順位であるかどうかは疑わしく、
国民投票で否決された場合の政権崩壊といったリスクも考慮に入れる必要がある。
そのため、実際にはそれほど簡単に事が運ぶとは思われない。しかし、制定直後を除けば、憲法改正の可能性が
最も高まっているのが現在であることも確かである。
そこで以下では、今後展開されるであろう憲法改正論議の手がかりとして、憲法改正とはそもそも何なのか、
国際的にはどのような改正がなされており、日本での従来の議論にはいかなる特徴あるいは偏りがあったのかを、
検討することにしよう。なお、本稿での議論は、駒村圭吾・待鳥聡史(編)『「憲法改正」の比較政治学』(弘文堂、2016年)に
多くを依拠していることを、はじめに明記しておきたい。
根底に存在する社会契約の考え方
憲法とは政治権力者を縛るルールであり、そのようなルールとしての憲法に従って政治権力者を抑制することが立憲主義である、
という主張は、2015年の安保法制に対する反対運動をきっかけに広がった感がある。
しかし、憲法が政治権力者を縛り、政治権力を抑制的に行使させるためにのみ存在するという理解は、いささか狭すぎるように思われる。
近代の憲法の根底に存在するのは社会契約の考え方であり、個々人が安寧のうちに暮らせるよう、政府を創設し、
必要があれば社会構成員の一部に何かを強制してでも秩序を守ることを目指している。政治権力の行使とは、そうした強制を行うことを指す。
社会契約としての憲法という観点から重要なのは、誰に政治権力の行使を委ねるのか、そして政治権力の行使をどの範囲で認めるのか、である。
権力者の抑制は政治権力行使の範囲(すなわち強制が認められる範囲)を定めることでなされるが、
それは憲法のすべてではない。政治権力を創りだし、それを誰にどうやって委ねるのかも、憲法の重要な構成要素である。
もちろん、今日においては政治権力の担い手は一人ではありえないから、複数の担い手(統治エリート)の間にどのような
分業関係を設けるのかも定めねばならない。
続く
webronza/朝日新聞 1月4日
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2017122600007.html
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http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1514840870/
ふたつの基幹的政治制度とは
憲法学においてこれらの規定は統治機構として総称されているが、政治学の観点からは、選挙制度と執政制度というふたつの
基幹的政治制度から構成されていると考えることができる。
選挙制度とは誰に政治権力を委ねるのかを定めるルールであり、執政制度とは委ねられて政治権力を行使する
統治エリートの間の分業関係、あるいは抑制均衡関係を定めるルールである。連邦制国家であれば、
中央(連邦)政府と地方(州)政府の間の分業関係も、執政制度に含めうる。
基幹的政治制度に関して定め、それを通じて政治権力を創りだし、運用することが憲法の本質だとすれば、
憲法改正とは基幹的政治制度の変革を指すことになる。ただし、今日では世界のほとんどの国家が持つ「憲法」という名の法典、
すなわち憲法典には、基幹的政治制度に関するルールのすべてが定められているわけではない。
とくに、選挙制度については定めがない場合が多く、執政制度についてもその書き込みの程度には差異がある。
なお、人権規定(権利章典)は、政治権力者に委ねられず、権力者によって侵されることもない個々人の権利のうち、
とくに重要性が高いものについて「念押し」的に明示するために置かれている、というのが本来的な位置づけである。
実質的と形式的、ふたつの憲法改正
そのため、憲法改正について考える際には、「憲法典に定められていないが基幹的政治制度を構成する要素」の存在と、
「基幹的政治制度には含まれないが憲法典には書かれている要素」の存在を、常に意識する必要がある。
前者の変革は実質的な憲法改正であり、後者の修正は形式的に憲法改正であっても根本的な変革ではないのである。
基幹的政治制度、あるいは統治機構の変革こそが実質的な憲法改正だと考える立場は、諸外国で実際に行われている憲法典の
条文改正との整合性も高い。 ・・・続きを読む
(残り:約2575文字/本文:約4453文字)
それも独自進化のガラパゴスじゃなくて
米軍に銃剣で強制された占領下のガラパゴス化だからなw
ふむ、そういう意味では遺伝子組み換え
&
つぎはぎのフランケンシュタイン憲法
といったところかな。
有害な外来種もいっぱい居ますよ?
欧米を見習えって言わねぇのかい?
特に↓の部分とか。
>憲法とは政治権力者を縛るルールであり、そのようなルールとしての憲法に従って
>政治権力者を抑制することが立憲主義である、
>という主張は、2015年の安保法制に対する反対運動をきっかけに広がった感がある。
>しかし、憲法が政治権力者を縛り、政治権力を抑制的に行使させるためにのみ存在する
>という理解は、いささか狭すぎるように思われる。
>近代の憲法の根底に存在するのは社会契約の考え方であり、個々人が安寧のうちに
>暮らせるよう、政府を創設し、必要があれば社会構成員の一部に何かを強制してでも
>秩序を守ることを目指している。政治権力の行使とは、そうした強制を行うことを指す。
>社会契約としての憲法という観点から重要なのは、誰に政治権力の行使を委ねるのか、
>そして政治権力の行使をどの範囲で認めるのか、である。
全然おかしくないね。
でも「いささか狭すぎるように思われる」と遠慮がちな書き方が、
日本の法学界で左翼が猛威を振るっていることを窺わせるね。
先日も安倍首相が憲法を理解してないとか弁護士が吠えてたが、
もちろん連中はここで書かれた「狭義の立憲主義」のみを正とし、
なぜか自信満々であるようだった。法学界で「狭義の立憲主義」が
相当な勢力を持っていることの証左ではないかと思う。
同意 (自分も朝日のリンクは踏まないのでOPの内容のみだが)
>権力者の抑制は政治権力行使の範囲(すなわち強制が認められる範囲)を定めることでなされるが、
>それは憲法のすべてではない。政治権力を創りだし、それを誰にどうやって委ねるのかも、憲法の重要な構成要素である。
は立憲主義の明確な否定で、国民に選ばれた指導者が国民のために憲法を改正することの肯定だ
それがなければ、時代に合わなくなった憲法を変えるすべがない
だから憲法を変えないという立憲主義こそがガラパゴスな改憲論議だ
独立国家としてありえんだろう
支持はする、投票はするけど憲法改正には反対、なんて通るのかね
本音は護憲だろ
自公連立の趣旨から改憲外したな
そりゃそうだ連中が与党に食い込んでるうちはまともな改憲なんぞできん
え?
小学生脳だからじゃない?
なんあ新しい罵倒表現があるとうれしくなってつい使っちゃうんだ!
ただの差別意識
正直ガラパゴスに悪いイメージが全く無く
5.6年前までガラケーを誉め言葉だと思ってた。
以前(2000年頃)は「壮大なるワンパターン化」とか言って
反グローバル化だったハズなんだが
スポンサーの都合で主張を変えたんだろうなぁ。
>>28
俺も最初はガラパゴス島にいいイメージしかなかったんで、なんでネガティブワード扱いされてるか理解できてなかった
独自ではなく取り残されたって意味で使ってんのな
何しろ大日本帝国憲法と特高警察があっても、
朝日新聞の戦犯行為になすすべもなかったのだから
国際的に規格の汎用性が問われる工業製品ならともかく、憲法だろ?
何か問題があるか?
反対派と論議が成立してるのを見たことがないんだが?
反対!反対!騒ぐのが論議なのか?
さっさと組織的な詐欺行為は辞めろや