青森県十和田市の新渡戸記念館廃館問題については、今回で10回目のご報告になります。
<過去記事>
15/06/06 新渡戸記念館を守れ!
15/07/27 新渡戸記念館の文化財が霧散の危機に瀕しています
15/08/21 十和田市の暴挙と新渡戸記念館
15/09/14 新渡戸記念館問題
16/08/31 新渡戸記念館問題シンポジウム開催のお知らせ
16/09/06 十和田市誕生と新渡戸記念館
16/09/25 安倍昭恵夫人も心配する十和田市政
17/02/23 特定の会社の上下水道料金が50%もカットされているという奇妙なお話
17/6/30 新渡戸記念館廃館問題続報(第9回)
18/2/20 新渡戸記念館廃館問題続報(第10回)
【↑リンク先で見る事ができます。】
この問題は、ひとことでいえば、十和田市の成り立ちにおおいに貢献した新渡戸稲造博士をはじめとする新渡戸家三代を
懸賞する記念館について、十和田市の実権を握る副◯長が、記念館に難癖をつけて一方的に廃館ならびに
その建物の取り壊しを勝手に決め、一遍の文書による通達もなしに、土地建物を管理する新渡戸家に立ち退きを要求したというものです。
立ち退きの理由は、建物のコンクリート強度が足りないというもの。
ところが、そこに出てきた数字は、
まるでダンボール箱並の強度しかないというもので、それはおかしいから、再調査をと要求すると、そんなものは必要ないという。
しかも、記念館内に所蔵されている宝物については、「市で処分するからまるごとよこせ」というけれど、
では、どのように処分するのかについては、市は当初は一切その内容を明かさない。
後日裁判に至ってから、市は、同館を含む3つの施設を統合した十和田歴史館の整備を計画しているというけれど、
正式決定でもなく口先だけの机上のプランにすぎない。
そのくせ市は、まだ記念物の移送先も決まっていないうちに、記念館への送電を一方的にストップしてしまいました。
記念館というものは、古い物品を展示していますから、空調を切れば、たちどころに記念物品が腐食したり、カビたりします。
市は、そういうことへの配慮をまったく見せないのみならず、記念館の駐車場にあった駐車場の
管理人室兼記念館の倉庫となっていたプレハブの建物を一方的に取り壊し、そこに保管してあった什器備品はなんと、
露天の地面の上にいい加減に積み上げて、上からブルーシートをかけただけ、という有様でした。
そこで全国の諸氏にお声がけし、記念館存続と、補完物品の保護のためにカンパをお願いするとともに、
新渡戸家では弁護士を雇って、裁判で争うこととしたわけです。
詳細は以下のリンク先にてご覧くださいませ!!
ねずさんのひとりごと 2月20日
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3673.html
新渡戸記念館廃館取り壊し撤回のご署名にご支援のページ
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.nitobe.jp/
十和田市の対応が横暴なのは明らかで、国が介入してもいい問題だと思うが、官邸に話届いてないのかなあ
保存していくもんだと思うし、地元の有名人ともなれば
言われるまでもなく地元が逆に記念館立てたがるようなもんだが
(-_-;)
この街の役人は自分の郷里が嫌いなのか?
理解に苦しむが…
大々的に報道しろ
>>8
問題が長期化してるってことは十和田市民も十和田市の現体制を支持してるってことだし、
受け入れ先があるなら移転するのが良さそうだな
移転先が廃棄物処理施設の可能性も
そういう罠にも注意だな
花巻の宮沢賢治記念館のすぐそばに
新渡戸稲造記念館があるのよ
宮沢賢治の資料は凄く大事にしてるし
花巻市は郷土の偉人(新渡戸の父親だけど)が欲しいんで
資料も大事にしてくれるよ
盛岡の先人記念館にも新渡戸稲造の専門ブースがあるし
青森に置いとくより、出身地の岩手に置いといた方が 安全だと思う
日本人の国際的地位を高めた人であるともいえる。
税金の問題もあるし。
価値があればあるほど、保管が難しくなる。
衆議院議長の肩書がついちゃってるから動くに動けないのかね
まぁ、地方自治の観点から、国会議員だからといって市政を動かせるわけじゃあないんだよねぇ。
ただの一般人がいうよりはるかに影響力があるのは確かではあるが、
何の権限もないしなぁ。
支持者やとか使って動くのは無理なのかね。その辺はパヨク党だと抜かりないのに。
青森で灌漑用水の工事を行った功績が背景にあるっぽい?
今、その功績は忘れ去られて記念館が廃館されてると
十和田市の副◯長だけではなく、十和田市民の意識の低さも問題なのでは
三本木原開拓の功績は、稲造ではなく新渡戸家の功績
なるほど、昔は南部藩の敷地だったんだ、ありがとう。
現代に於いて境界線が違っているだけの話なのね。
祖父と父が南部藩の藩士として現十和田市の開拓・水路整備の功績がある。
昔は青森西部も岩手も同じ南部藩で、
父親の代で藩内で転勤が何度かあったみたいだな。
間違えた。
×昔は青森西部も岩手も同じ南部藩で、
〇昔は青森県東部も岩手県も同じ南部藩で、
サンクスサンクス
旧5000円札と旧国連しかイメージなかった
「武士道」を忘れちゃいかんぞな。
多分、新渡戸稲造が5000円札になったのは、「武士道」の作者であるのが最大の理由と思われ
日本人の国際的な地位向上に貢献した人物とみなされているということだと思う。
おそらくその記念館の土地を掠取する目的だろうけど
土地は新渡戸家の物だけど、上物である建物は市の所有物らしい。
んで、財務的に厳しい十和田市がその記念館の維持費を支払っているらしく
年間2300万円ほどらしい。
あ、アドレスだした方が早いかw
ttps://www.news-postseven.com/archives/20150629_332436.htm