◇愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる
愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が
引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。
島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。
文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。
その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の
別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた
本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。
詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろにして万民を悩まし、
苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」
といった意味の記述があった。さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、
光秀を「勇士」と表現したとみられる記載も見えた。
続き Yahoo!ニュース/毎日新聞 2/4(土) 14:33配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170204-00000046-mai-soci
坊主が五月蠅いから都を移そう
坊主が騒ぐから武士を雇おう
坊主が戦を起こすからヌッコロセ
坊主が騒がないように管理しよう
そして現代に至る。