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【 #歴史 】 #本能寺の変 、 #仏教界 は喝采「信長は清盛の再来」 #愛知 ・ #豊橋の寺 で発見の古文書より

いつものイスに置くだけで本格マッサージチェアに変身です


1:2017/02/04(土)20:55:19 ID:
<古文書>本能寺の変、仏教界は喝采「信長は清盛の再来」

◇愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる

 愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が
引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。
島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。

 文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。

 その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の
別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた
本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。

 詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろにして万民を悩まし、
苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」
といった意味の記述があった。さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、
光秀を「勇士」と表現したとみられる記載も見えた。

続き Yahoo!ニュース/毎日新聞 2/4(土) 14:33配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170204-00000046-mai-soci

2:2017/02/04(土)20:57:17 ID:

魔王信長





3:2017/02/04(土)21:03:26 ID:

日本史とは、坊主との戦いの歴史でもある。

坊主が五月蠅いから都を移そう
坊主が騒ぐから武士を雇おう
坊主が戦を起こすからヌッコロセ
坊主が騒がないように管理しよう

そして現代に至る。


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