朝日新聞デジタル 3月25日(金)5時4分配信
13歳で脱北し、中国での想像を絶する体験を語り、人権活動家となったパク・ヨンミさんが、
注目を集めています。自伝的な手記「生きるための選択(原題:IN ORDER TO LIVE)」
は米国をはじめ世界20カ国で出版されました。
パク・ヨンミさんは1993年10月、北朝鮮北部の恵山(ヘサン)生まれです。
幼い頃は比較的裕福な暮らしをしていましたが、9歳の時、父親が禁じられた金属の横流しを
したかどで逮捕され、生活が一転。13歳のとき、母親とともに鴨緑江を渡って中国に脱出しました。
その後の中国での長い潜伏生活と、ゴビ砂漠を抜けてモンゴルに到達、韓国にたどり着いて懸命に
勉強し大学に進むまでの半生を自伝「生きるための選択」にまとめ、日本語版の「生きるための選択」
(辰巳出版)の出版にあわせて来日もしました。パク・ヨンミさんに自身の半生や北朝鮮の人権に
ついて聞いたインタビューをお伝えします。
――本を執筆するきっかけは何だったでしょうか。
2014年10月、アイルランドのダブリンで開かれた国際会議「ワン・ヤング・ワールド・サミット」で、
自分の体験を大勢の人の前で話したことがきっかけです。私はアフリカに何カ国があるか知らず、
イスラム教徒にも会ったことがなかったのですが、世界各地から集まった人たちが国や宗教の違いを超え、
北朝鮮の実情に関心を持ってくれました。それまで人間に対する不信がありましたが、信用していいんだ、
という気持ちになりました。ダブリンのスピーチから1カ月もしないうちに、出版社から声をかけられた
こともあり、手記を書き始めました。
――幼い頃の経験も詳しく書かれていますね。
幼い頃のことや、恐怖からトラウマになって記憶が切れているところは、母が協力してくれました。
ある意味では、この本の何割かは母の思い出話です。ゴビ砂漠を一緒に歩いてモンゴルに逃れた脱北者や、
故郷の同級生で脱北した友人も協力してくれました。忘れていたこともずいぶんあったので、
彼女たちが協力してくれなかったら、ここまで書けなかった。私一人のものではなく、みんなの努力の産物です。
■「母は勇気を持っている人」
――北朝鮮を脱出した後、中国ではブローカーに人身売買された経験も書いています。
母が自分の身代わりになってレイプされるなどの衝撃的な内容もつづっていますね。
今でも13歳まで暮らした北朝鮮や、中国での2年間の潜伏生活が夢に出てくることがあります。
何かから逃れようと泣きながら走り、でも、決してゴールにたどり着かないといった夢です。正直言って、
今も当時のことを思い出すのは怖いです。しかし、ダブリンのスピーチをきっかけに人権活動家としての
意識が強くなり、隠してきた秘密を明かすことを決心しました。プライバシーだから、と隠すのではなく、
真実をさらさないといけない。もう嫌だ、これ以上書けない、と行き詰まったときは、母に「声を持たない
人のために誰が語ることができるの。あなたしかいないでしょ」と励まされました。今考えても、
こういう機会をいただいてよかったと思います。母は勇気を持っている人です。
――過酷な体験の連続だった半生で、誰かを恨む気持ちはありますか。
人間なので恨み、憎しみの気持ちはあります。北朝鮮の人々は、生まれた時点でアンフェアです。
川(中朝国境の鴨緑江)一つ隔てただけで、それ以外の世界に生きる人々と人生がまるで違う。
間違った場所に生まれた、ばかなという気持ちが私にもありました。でも、時間はかかりましたが、
いまはすべてを受け入れようとしています。人生はアンフェアだけど、その人生を抱きしめて歩
むしかないと。北朝鮮で生まれたこと、北朝鮮から脱出したこと、その両方があって、今の私があります。
もし平穏な人生と交換できるとしても、交換しようと思わなくなりました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00000012-asahi-int
しかも取り上げているのが朝日新聞だしw
もう「永遠のテロ」って映画でも作ったらどうかと
「お涙ちょうだい」の作った話で一儲けする連中が。
吉田清次とかいう男が代表核。戦争に関する手記でもそう。
小説にヒントを得て尾ひれをつけて、しまいに全く別の話にまでなって・・・
慰安婦の証言もそう。何度もウソをウソと知りつつ話してたら、
いつか、本当のことだと自分でも信じ込んでしまった、ということが。