と題する記事を掲載した。中国では「武士」や「武士道」が「軍国主義の原因」と否定的に紹介される
場合が多いが、同記事は日本と中国の国情と歴史的発展の違いを客観的に説明した。
記事はまず、過去の「農耕時代」には生産性が低かったたために土地争いが深刻であり、
兵力の多い者が大きな権力を握ることになったと紹介。
土地を確保するために「武士階級」が出現したのは、日本だけでなく古い時代の中国も同じと論じた。
違いとしては、中国では武士階級が早い時期に消失したのに比べ日本では「源平の戦い」以降、
700年も武士による「軍政」が継続したと指摘。1885年に内閣制度が発足してから
1945年の終戦までに29人が首相となったが、うち25人までが武士階級の出身だったことにも触れた。
記事は、中国で武士階級が消滅した原因として、中国が大陸国家であり、
「内陸部から来る勢力との衝突」がしばしば発生し、「大統一により力量を集中させる」方向に
歴史が動いたのに対して、日本は小さな島国で、さらに耕作可能な土地が沿岸の小さな平野や、
山に囲まれた盆地しかなかったので、大きく広がるよりも、地方ごとに別れる「割拠主義」が強くなったと論じた。
中国にも漢代末期、唐朝末期や宋代には地方で軍事勢力が割拠する場面もあったが、
地方が割拠するままで歴史が推移していくのではなく、中央政権が地方割拠の問題を解決できなければ、
「地方出身の勢力」によって王朝が交代することになったと指摘した。
日本では、大化の改新で租庸調や班田収授の中央集権制度を設けたが、地方からは不満が出たと紹介。
結局は、荘園が中央政府に従わなくなり、天皇の政治的影響力は衰微したと論じた。
そして、地方の武士勢力が日本史の主役になったと説明した。
記事は、「中央政権が全国を一律に統治する」時代を「帝国時代」と表現。
日本が「帝国時代」を迎えたのは明治時代であり、極めて遅かったと指摘。
一方、中国は極めて早く「帝国時代」を迎えたが社会は安定せず、再び分裂時代に戻ることもあったと説明し、
「帝国時代」の経験について日中は「両極端」だったと主張した。
続き サーチナ
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◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 35◆◆◆
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体を使う仕事全般が野蛮と貶められてたらしいな
甲乙思想で下から略奪するだろ?中韓は?ww
日本は中華思想を取捨選択して日本の風土に合わせたからだよw
武士(上)は農工商(下)を保護して上納させてたからなw
日本の武家政権は建前としては全部「天皇を守る武士が天皇の代理で政権運営をしている」んだから、守るべき貴人が居なければ成り立たんよ
まあこれだよな。
そういった建て前があったからこそ統治に関しても割と穏やかな統治だった。
恐怖政治とかは逆に一揆の元になったしな。
古来より日本の平和は陛下の御威光に守って貰っている感じだな。
日本の場合、武士のトップを任命する「天皇」って存在が保たれてたからねぇ
中国みたいに頂点がバンバン替わっていったら
仕える対象が固定されないから、文化が生まれない
皇帝がいただろうけど、武人が帝位についちゃうからな。
実用的武力が形式的権力と結びついちゃうと武人階級は生まれないわけだ。
皇帝がいたとおもうけど。
というか、中国のは基本的には武士と言うよりは武官なんだよな
つまり中国と日本の一番の違いは権威と権力の入れ子構造にあると思うんだわ
日本の場合は古代には中国と同じで朝廷の直属の武官が朝廷の名の下に
武を振るったわけだが、日本の場合はこの権力の部分だけが切り離され武士が奪取したため
ある意味平等な状態の「領主」たちが、互いに国家といえるものを形成して武士を抱えて
争うという形になった、つまり中国の武官があくまでも武をつかさどる官人であるのに対して
日本の武士は領主に対して私的に仕える武人で有ったところじゃないかな。
将軍家が弱れば^^、機会があれば^^みたいな、なんとか連邦とか
帝国ではないよ。
征夷大将軍を、帝に任命されるんだけど。
今、一体どんな歴史教育をしてるんだ?
日本人じゃないなら、納得。
藩という国を、藩主、もしくは大名と言う名の世襲の王が支配し、さらにそれらの国を束ねる将軍と言う名の皇帝が居るという構図は、帝国だよ……
天皇が任命した云々は、全く、関係ない。
将軍の任命権を持つのが天皇である訳だから将軍=皇帝は成立しない気がするが
多分、将軍を皇帝と位置付けることで、朝廷は単なる位階にに過ぎないと位置付けて、日本は大和朝廷以来の一系ではないとしたいのだろう。
世界一の歴史を持つ日本が憎くて憎くてたまらなくて、日本と言う国は、WW2以後の70年の歴史しかないってしたいんじゃないかな
そういうことなんだろうか…
確かに将軍=皇帝論はそうとも受け取れるんだが…
>>27
皇帝であれば一切の任命権ないし人事権を握る訳だろ?
将軍は天皇の信任委託を受けることでそれを行使出来る訳だ
順序立てて考えると将軍=皇帝論は破綻してしまうんじゃないのか?
つか中国の基本思想の1つだね、反対に徳の高いものが帝位に付くと
瑞獣が現れたりする。
>>24
それは建前で、用件としては将軍派皇帝である要件を満たしていると
少なくとも幕末に日本に来た外国人は思っていたようだ。
ケンペルの日本誌には日本には聖職的皇帝と世俗的皇帝の二人の皇帝が存在すると書かれている。
将軍を宰相と規定しても、成り立つぞ?
藩という名の国を世襲の大名、藩主と言う名の国王が支配し、それを天皇という皇帝がさらに支配してて、将軍と言う名の世襲宰相が代理的に運営している。
これが皇帝でなければ、なんだ?
てか、江戸時代は帝国ではなかった(きりっ)って事、あの頃の天皇を英語で言い表す言葉はなんだ?Kingか?それともHierophantか?
将軍=皇帝論に異議を唱えとるんだ
別に帝国である事実は否定せんよ
アジア式の「皇帝」は
「社稷を護る」と言う役割を持つかどうかで決まるんですが
アジア式西洋式でだいぶ趣は異なるけど本質は変わらないと思うんだ。
皇帝は世界秩序の守護者であって、掲げてる世界秩序が異なるから違うように見える。
『皇帝は世界秩序の守護者』
一体、どこにそんな皇帝がいたのかね
西洋的な意味では皇帝はキリスト教世界の守護者なんですが
世界史とってなかった?
中国皇帝はふんぞり返る事で中国が一番えらいんだ、
というのを内外に示していたわけだ。
だからあれも世界観を守っていると言える。
いや、定義云々ではなく、過去の皇帝に世界秩序を守護した皇帝はいたのって聞いてるんだが。
やはり日本語が不自由でしたか
そりゃ幕府時代長いけど、どれも陛下の信任を得てるんだから、
ずっと天皇陛下の御代だわな。
あと刀狩りに一切触れないのな。
触れたらストーリー矛盾しちゃうもんな
朝廷の権威と武士の棟梁の権力
というのが完全に分けられたからこそ、日本の国体が2000年続いた理由だから
そこをないがしろにすると日本の文化は見えてこないわな。
とやかく言われる筋合いはないわな
新たなる帝が興って、世の作り替えが行われる
みたいな思想が無かったかな?
チャイナって
フィクションの世界での設定だったかも
うろ覚え
実際西洋人は日本の幕藩体制を、藩主を王と認識し将軍をその王を支配する皇帝とみなしている
そして日本には二人の皇帝が居ると記録し帝は、宗教的な権威と見ていてローマ法王に近い元の理解していた。
同意
中国人は、文武両道の精神に憧れている?
遠回しに、宦官政治←「文」(中央集権)を下げてる気がするわ
あれで文人優位が確立した
朝鮮も同じ
将軍は将軍家や徳川御三家という少ない選択肢ながら
しばしば不完全な選挙に近い首長選びが起こってたし
老中も限られた選択肢の中で都度選ばれてた
不完全な議会制度の芽みたいなものだったんじゃね?
「帝政」と言われると、そうなのかなとは思う
中国にも武人はいたではないか。
関羽も張飛も文官ではないし、武士と言っていいんじゃないの。
昔はいざとなったら切り捨て御免だったから
そうそう簡単に与党は変わらない
100年200年余裕で続いて当然、安定政権がそのくらい続かなきゃ
単なる無能、天皇は政治に口出ししないのが帝王学の基本