朴裕河・世宗大教授
2014年6月、告訴時の記者会見で元慰安婦の女性が手にしていた朴裕河・世宗大教授の「帝国の慰安婦」=ソウル(聯合=共同)
【ソウル=名村隆寛】韓国のソウル東部地検は19日までに、慰安婦問題の学術研究書「帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘い」で慰安婦を「売春婦」などと表現し、元慰安婦の女性の名誉を毀損したとして、
著者の朴(パク)裕河(ユハ)世宗大教授を在宅起訴した。
朴氏が同書で慰安婦を「自発的な売春婦」「日本軍と同志的関係にあった」などと書き、侮辱したとして、昨年6月に元慰安婦らが刑事告訴していた。
検察では、「元慰安婦は性奴隷同様の被害者で、日本軍に自主的に協力したわけではない」とし、「虚偽の内容で被害者の名誉を毀損した」としている。
http://www.sankei.com/world/news/151119/wor1511190029-n1.html
この大学教授は、法廷で、テキサス親父の「米公文書」を出してやれ。
裁判官が証拠として採用しないと思う。
「韓国の公文書ではないので信用性を検証できない」とか言って。
まともな事を言うと排除される国
マジか?
間違ってもコイツは活動家じゃなく研究者だから。
完全に言論弾圧であり、学問の自由の侵害だわ。
韓国行くところまで行ったな。
いやだから慰安婦は全員強制だったってことなんかな
そう考えること自体が不自然だろ
気に入らなかったり、不都合だったり、または気持ち良くないものは、歴史とは言わないのです。
これが、韓国の言う、歪曲されていない歴史。正しい歴史認識です。
日本では考えられない事だな。
沖縄は日本の領土では無いと公に関係ない者が発言しても
罪に問われる事は無いけど韓国では真実を言っても
それが公に都合が悪い事ならこうなっちゃうよね。
これで日本は酷い言論弾圧をしてるとかどう言う神経して言えるんだ?w
↓ よくもまぁこんな寝言をほざけるもんだわwww
【朝鮮日報/コラム】韓国に劣る法制度を持つ日本が問う韓国の法治主義[11/19]©2ch.net
ttp://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1447894909/
売春婦の得意先はいつの時代も軍隊だよ^^
(朝日新聞南鮮版1933年5月11日)
上記写真を見てほしい。1933年5月11日の朝日新聞南鮮版に掲載された記事であるが、81%が朝鮮人で占められている。
また警察に関しても、併合年でも警察官の約6割が朝鮮人である。その後、朝鮮人警官の割合は増えていったという。
当選者の8割となれば圧倒的多数が朝鮮人である。これが何を意味するかといえば、朝鮮人自身が、行政を監視する立場にあったということである。
当時もし、朝鮮人にとってあきらかな行政の問題があったのならば、彼ら朝鮮人の議員がそれを正すことができたはずである。議会の圧倒的多数派が朝鮮人であったのだから。
現代の韓国人は彼らの存在を「親日派」として無視するだけだろうか。
次に警察官に関してだが、
朝鮮の警察は1919年まで、一般の警察官の他に、陸軍の憲兵が一般の警察も兼ねる憲兵警察制度をとっていた。
朝鮮人警官の汚職が多いからだ。
資料によれば、憲兵警察は2,019名(その内、憲兵補助員としての朝鮮人が1,012名)、
憲兵警察を含む警察官数は7712名。そのうち、朝鮮人警察官は4440名とある。
つまり、57.5%が朝鮮人ということになる。
憲兵警察制度が終わると、今度は道知事の下に警察が置かれたが、道知事も半数が朝鮮人であった。
併合時代の警察官が横暴だったという話があるが、当時の警察官の負担人口はかなり多い。
現代の欧米諸国の警察官一人あたりの負担人口は300~400人。当時の朝鮮の警察官一人あたりの負担人口は1,685.7人となる。
併合初期の朝鮮の人口1,300万人に対して、警察官はたったの7,712人だったからだ。
現在の東京都が人口1,322万人(昼間1,557万人)に対して警察官が46,721人であるのと比べれば、当時の朝鮮の警察官数はおよそ1/6と少数である。
少なくとも、併合時代の朝鮮がそれほど厳しい監視社会だったとは思えない。
(「中国・韓国の歴史歪曲」~なぜ、日本人は沈黙するのか~ 黄 文雄 著)
と書き込んだら、それに対して韓国人の読者が、「朝鮮人は自分で志願して日本兵になったのではない。強制的に戦場に連行されたのだ」と反論していました。
多分、韓国の学校ではそう教えているのでしょうが、これはまったくの誤りです。太平洋戦争で戦った朝鮮人兵士は全員、志願兵でした。
1944年9月からは朝鮮人にも徴兵制度が適用されましたが、入営は1945年1月から7月の間に限られたため、訓練期間中に終戦を迎え、実戦に投入されることはありませんでした。
つまり、徴兵されて戦場に行った朝鮮人兵士は一人もいなかったということです。
以下は、1938年に朝鮮で特別志願兵制度が開始されてから1943年に終了するまでの朝鮮人兵士の志願者数と採用者数です。
表:朝鮮人日本兵の志願者数と採用数
年度 志願者 採用者数 倍率
1938年 2946人 406人 7.3倍
1939年 12,348人 613人 20.2倍
1940年 84,443人 3,060人 27.6倍
1941年 144,743人 3,208人 45.1倍
1942年 254,273人 4,077人 62.4倍
1943年 303,394人 6,000人 50.6倍
表をみればわかるように、志願者数は1941年には14万4743人、1942年(昭和17年)には25万4273人
1943年(昭和18年)には30万3394人と年を追うごとに増えています。
これに対して採用者数は1941年は3,208人、1942年は4,077人、1943年は6000人で、
日本兵として採用されるためには、それぞれ45.1倍、62.4倍、50.6倍の難関を突破する必要があったことが判ります。
当時、朝鮮や台湾は大日本帝国の領土の一部を構成し、多くの朝鮮人や台湾人は自分たちもまた日本人であると考えていて、
日本人として祖国日本のために戦いたいと願う朝鮮人や台湾人の若者が多数、存在したというのです。
私の身内に1939年(昭和14年)に召集されて満州に渡り、太平洋戦争の勃発と共に南方に移動し、終戦はニューギニアのラバウルで迎えたという年寄りがいましたが、
満州から南方に移動するとき、現在、中国と北朝鮮の国境になっている豆満江に沿って移動したそうです。
当時、豆満江流域には多数の朝鮮人が居住していて、行く先々で日本兵は朝鮮人住民から大歓迎を受け、ご馳走を振る舞われたといいます。
それで礼をいうと、「礼をいうなんて水臭い。天皇陛下は一人ですよ!」と言い返されたそうです。
「朝鮮人も日本人も同じ天皇陛下の赤子であることに変わりはない」ということだったらしいです。
実際、京城(ソウル)の映画館では、真珠湾攻撃やマレー沖海戦など緒戦の日本軍の華々しい戦果を伝えるニュース映画を観て朝鮮人観客が熱狂していたという証言もあります。
そのような時代の空気の中で、日本軍に志願して自分もまた日本兵として戦いたいと考える朝鮮人の若者が増えたということらしいですが、
中には志願兵に応募して不合格になったことに悲観して自殺する若者まで現れて、朝鮮総督府を困惑させたといいます。
また日本軍に入隊するために血書による嘆願書を提出することが朝鮮人の若者の間で流行し、1939年には45名、1940年には168名が血書を提出しているそうです。
後に韓国大統領となる朴正煕(パクチョンヒ)も、満州国軍軍官学校への入学出願に際して、受験年齢制限の特別免除を求める血書の嘆願書を提出しています。
嘆願書には「日本人として恥じざるだけの精節と気魄とを以って一死以ってご奉公の堅い決心でございます、
しっかりやります、命のつゞく限り忠誠を尽くす覚悟でございます」と書かれてあります。
「日本人として」と書いていることからわかるように、彼は自分を日本人と考えていたのです。
世界中を回って日本の悪口外交をしているパククネ現大統領の父親は日本人だったのです。
ちなみに彼の日本名は高木正雄です